政治家をめざしていくこと

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今から申し上げることは、これから政治家を目指さんとする私の率直な動機を語る時、その説明の為に避けて通れない部分であるところから皆様に率直に打ち当けさせていただく内容であり、少しく非常識の印象を周囲に与える可能性があることで、従って軽率に他人にお話しするものではないということを、まずは前置き申し上げます。
私は感の鋭い少年であった。人が考えること、これから起きること、例えば地震などについて良く言い当てて大人の驚きや恐れを誘った場面が幾度となくあった。だからといって、オカルト趣味かと言えばそうではなく、自分では一つの個性としてしかそういった現象を捉えていなかった。得意どころか、周囲から奇異の目で見られるデメリットしか感じられない悪癖としてしか感じられず、意識して隠すようにしてきたぐらいである。
そんな私が幼いころから、一つどうしても抑えられない感情があった。不安であった。何に対する不安か、「未来」に対する不安感だった。それはその当時から世界中を覆い始め、誰もが共有している3つの恐怖とも呼ぶべき不安感である。
まず一つ目は大量破壊兵器による不安があった。私の物心の付き始めた1980年代は既に核の恐怖が世界を覆う時代であった。1945年から始められた核実験は半世紀の間に2379回を数え南アフリカ、ウクライナなど核放棄した国もあるとはいえ現在も5大国に加えてインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルも保有しているものとみなされている。核兵器だけでなく貧者の核兵器と呼ばれ生産も使用も安易にできる大量殺傷兵器が化学、科学の進歩によって発達し、人類を何千回も滅ぼすことを可能にした。
 二つ目の不安は食糧問題だ。爆発的に増加する人口、現在の世界人口60億が2050年には100億になるとの予測がある。しかもその人口増加の見込まれる地域のアフリカ、中国では急速に食の洋化と一方でそれを支える生産人口は反比例して減少する。また、家畜の飼料、バイオエタノールの原料としても大量の穀物の消費を必要としている。そして単純に量的不足のみでなく、分配の不均衡も問題視されている。つまり経済的な貧富の差、政治力の差によって食糧需給に大きな格差が生じている。我が国のように受給率が30パーセントに満たない国でありながら豊かな食卓を享受する一方で世界の飢餓人口は10億を超え毎日3万人の子供が餓死している事実がある。このような状況で経済的、政治的なパワーバランスが崩れ、天候異変などで農産物の生産が逼迫すれば、我が国のように輸入に頼る島国の陥る危機的状況は火を見るより明らかである。
 三つ目の不安は人心の不安である。ソ連の崩壊を代表する社会主義の崩壊、リーマンショック等に代表される資本主義の失敗は世界政治と世界経済という世界を支える二つの支柱を揺らがせることとなった。また、行き過ぎた市場原理主義や科学技術の偏重は他者に対する、いや生命に対する尊重を人心から失わせ、地下鉄サリン事件、9.11を始め無軌道無慈悲な殺傷事件を引き起こす一因となっている。
 さて、この三つの不安が現在の不安定な世界、東アジア、そして我が国の政治状況を重ね併せる時、世界中を巻き込んだ大動乱に陥れかねない要因となるのである。核兵器、化学兵器は核保有国から他国、あるいはテロリスト達に流れる可能性は十分にある。また、食糧問題は今後食糧の争奪戦等を起こしかねない。そしてそれらの危機を未然に防ぐべき統治機能の乱れが、もはや危機を至近距離に呼び寄せているのである。
 私は今に至る危機の不安感を幼少より感じており、その不安の解消の為に一個人として何を為すべきか模索しつづけてきた。小学校の高学年で物理、哲学、歴史に興味を持ち、大学で社会学、特にリーダーシップ論、コミュニケーション論を学び、社会人になってからも民法、民事訴訟法、憲法、行政法、刑法、行政手続法、行政訴訟法、経済学、社会保障論、社会福祉等法律や制度についてその基本を学んだ。勉強だけでなく、大学時代は文章を書く部活の部長として、そして14大学の文章系サークルを集めて「学生ペンクラブ」を創設するなどリーダーとして人を動かす方法を研究、一時期は社会改革の為に「学生ペンクラブ」を社会運動組織にしようと考えたこともあった。
 しかしながら当時の市民の政治的未成熟の現実に触れたとき、社会経験も勉強も足りぬ未熟な身で勢いに任せて軽率に活動することで例えばオウム真理教を生んだような騒乱装置に発展する可能性も否めないと熟慮し、まずは一社会人として研鑽を積むことにした。
その後16年、営業、派遣での作業員、介護職員など様々な職を経験しながら多くの社会問題にも触れてきた。たとえば派遣業界では派遣切りなどの労働問題、介護職にあっては少子高齢化や社会福祉制度の問題点、介護人材の育成など常に問題意識を持って体験、観察し続けてきた。そして多くの問題に触れて雇用者としてでなくより一層プレーヤーとして地域から問題解決を仕掛けられる立場に成るために平成20年にNPO法人を設立、23年には移送サービス、訪問介護事業を独力で立ち上げた。とはいえ、この時点では事業家として卵の存在で政治はおろかまずは一経営者として自立を目指す覚悟であった。

 私が政治家を目指す覚悟を決めたのは正に昨年2011年3月の東日本大震災での復興支援活動の最中であった。震災当日に始めた地元横浜での帰宅難民の送迎支援から宮城での介護派遣支援、生活再建、事業再建支援の為に被災地住民の懐深く入り地道な実績を積んで信頼を獲得することができた。横浜と宮城を合計150回以上往復し、その間被災地の住民団体、自治体、そして中央省庁、復興庁、企業本社、学究機関に足を運びコーディネート支援を行う中で我が国の社会構造上の問題点に触れ、その根本的な解決法を発見し、活動すればするほどに確信するに至った。それは今まで20年近く書物に学び、また実践してきたことを全て集約した内容となった。
 私は活動する中で行政の縦割り構造、組織間の連携の弱さ、企業の中でのそれ、中央政府と地方自治体間の意思疎通の悪さ、自治体と住民の間でのそれ、我が国の技術開発の遅れ、流通を阻む体制、復興過程を通して感じ取ったその問題点を解決する方法が即ち我が国全体の政治の混乱、経済の停滞、国民に満ち満ちる不満、不安感の解消につながることを確信するに至った。
 ここでその問題点の詳細や解決策を一つ一つ提示することは本稿の趣旨と異なるので控えたいが、概括すると機能不全に陥った国家を根本的に改革する為には血管をつなぎなおすだけの応急処置では足りず、細胞の活性化による体質改善が必要となる。細胞とは国、県、市、町という既成の組織では足りず、また道州制では足りず、顔の見える範囲での地域での自立、政治的、行政的機能化が必要と考える。自分達の地域の経済、食糧需給、エネルギー需給を真剣に考え目標を設定し、道州や中央政府、つまり政治のできることはそうして体質改善に至るまでの段階的権限移行、補完、最低限必要な管理によって支え、後押しすることであり、政府としては災害時の緊急対応、外交など国家的役割に注力することで細胞各々が自治に集中できるように配慮することだ。政府としてその機能を果たす為には地方と国、政官財を横断して情報収集、調整、提案するコーディネーターの設置も必要だ。また、少子高齢化による生産人口の減少や国、行政の財政負担に対応する為には制度面での工夫ではもはや足りず、エネルギー革命や農業への技術導入、経営革新を急ピッチで進め現在のような貨幣経済、貿易に大きく依存した歪な経済、生産構造を改めねばならない。その為にも上記の地域の自立、コーディネーターの導入を全力で進めねばならない。枝葉の制度改革論議は社会保障や農漁業、産業革新など私なりに様々な自論があるが、ここでは紙面の都合、本稿の趣旨から逸脱する為に控えたい。

 復興支援を通して幼少より感じてきた将来への不安の解決策を見出し、また活動の実践を通して自己の実行能力、人を、企業を行政を動かすことに自信を持つことができた。活動の初期には住民の抱える問題を抽出し自治体と交渉して解決することができた。避難所での介護環境の改善の為に行政や医療職を説いて全国の福祉支援者を通じて介護職や物資の派遣支援導入を行った。その後の復興支援期には生活環境改善の為に太陽光街灯や温熱システム、福祉住宅など企業の技術を積極的に導入支援を行った。南三陸では市民活動の自立をエンパワメントしNPO法人の設立を説得し立ち上げ支援、その後の運営まで密着して助言指導を行ってきた。現在は新産業新設プロジェクト、見守り支援を行い、仙台に支援専門のNPO法人を設立した。南三陸や亘理の住民団体からは熱いラブコールを頂いて常時会議に参加しアドバイザーとして微力ながらお手伝い申し上げてもいる。
 こうした実績も手伝って、政治活動についても人に依存するのみでなく自分自身が立ち上がって、日本、そして世界の平和の為に、地域も世界も皆が明るく幸せに暮らせる社会を実現する為にこの一命を捧げる決意をした次第である。
 私は仕事上でも私生活上でもいつも直面する事態に真剣勝負で生きてきた。今後は政治の舞台で差し違える気迫で山積する社会問題に取り組んでいきたい。
2012年11月02日 12:1872 ( missing poster )
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